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あなたの【本当にやりたいこと】を見つけるVision Art Methodビジョンアートメソッド
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【父の人生】

〜ビジョンアートメソッドの原点〜

「お父ちゃん、何で死んだんや!」


「俺らを残して何で死んでしもてん!」


父は45歳で他界した。
癌だった。


体中、骨と皮だけに痩せこけ、白い布だけを被され、
ただの物体になってしまった、横たわる父の遺体を
今でも強烈に憶えている。


私が高校に入った直後だった。

他界する数ヶ月前の、わたしの父は、
私たちの生活を少しでも良くしようと
独立したところだった。
知人から資金を集め、工場の準備をし、
繊維関係の事業を志していた。


父の他界後、残されたのは、短大生の姉、
高校に入学したての私、専業主婦だった母、
そして莫大な借金だけだった。
事業資金集めとは体のいいことで
実際には借金だった。


父の他界後、母は私たちを育てながら
父の代わりに昼夜問わず働き、
借金を少しずつ返済してくれた。

私にとっての父は、経済的に恵まれなかったが、
「いい親父」だった。
本当に優しかった。


父の葬儀の時は、多くの人々が集っていただき
「あんなに、優しくて、いい人が・・・」と
言って泣いてくださった。


父の幼少時に、両親の離婚があり、
「あたたかい家庭」で育つことはできなかった。
ひどい仕打ちを受けていたこともあったそうだ。
自分が子供の頃、家庭面で恵まれなかった分、
その後に出会った人々には、親切にしていた。

わたしたちが子供の頃、
小さなアパートに家族4人で暮らしていたが、
狭いところに、いつも多くの父の仲間が
集まってワイワイガヤガヤ食事をしていた。

「早く大きくなれよ。
 大人になったら、かっちゃんと一緒に飲みに行くからな」
と、私が小さかった頃から、事あるごとに、
父は私に言っていた。


しかし、その夢は果たされなかった。

また、「友だちは大切にせえよ」
と言うのも口ぐせだった。
私は父が大好きでもあったが、
反面、憎らしくもあった。
そう、憎んでいたのだ。

わたしが大好きだった父を憎んでいた
理由は大きく分けて2つ。


父が経済的に甲斐性がないから
「私はやりたいことができない」と
言葉には出さなかったが、
心の底では、父を責めていた。


高校生だった私は芸術大学に行きたかった。
しかし、親がしっかりしてないから、
自分のしたいことが制限される。
とバカな考えをしていた。


今から考えてみると、
本当にやりたいと思っているのだったら、
バイトでも何でもして夢を叶えたらいいのだ。
今の私なら、そうしている。


それをしなかったのは、
当時の私は
「自分がやらない言い訳」を「全て他人のせい」に
していた弱っちい人間だったからだ。
自分のほうに非があるのに、「人のせい」にしていた
ダメ人間だった。


そんなことは親に言ってもしょうがない。
全部、自分次第なんだ。
自分が覚悟できているか、どうかだけ。
「人のせい」にするのは「自分がやらない」ことへの
正当化をするだけ、つまり「逃げている」だけだった。
ほんとうは誰のせいでもない。
「自分の人生は自分で切り開く」のだ。

もう一つは
わたしは姉との比較において、「いつも劣っている」と
思っていた。
そして父は私より姉の方を大事にしていると思っていた。
姉は美人だし短大にも海外旅行にも行かせてもらい、
結婚費用も工面して出してもらったが、
私は経済的理由で難しくなった。
当時の家計では、私にはそんな援助は願うべくもなくなった。
私は、いつでも我慢していた。
あの時の私は、姉が、本当に、「うらやましかった」


大人になった今から考えると、私も小学生の頃から
画家の先生のアトリエで油絵を学ばしてもらったり
かなり両親から援助してもらっていたはずなのに、
そんなバチ当たりな不平不満をもっていた。
本当は、父親として私に充分な愛を注いでくれていたのに。
バチ当たりな息子だった。


もう、言ってもしょうがない。
今となっては、どうでも良いことだ。
家にお金がないこと、私より姉の方が
大事にされているという2つの不満から
父を憎んでいた。
父を憎むことで「責任転嫁」をしてたのだ。
甘ったれなバカな息子だった。

昔は父を憎んだりもしたが、
今は最大の恩人だと思っている。


というのは
45歳という普通からすれば
未だ若い年齢で他界した
父の死を目前にしてから、
高校生だった私は
「人間は何のために生きているか」を
真剣に考えるようになった。


そして、その思いが約30年後に結実した。
私が創造した『VISION ART METHOD』という
独自の夢実現のための個人セッションを
考える最大のきっかけになったからだ。


また、父が癌という病で、若い年齢ながら
他界したことから
「人間は健康でないとあかん」
と思った。
そして20代の時、ヨガのインストラクターになった。

まだまだ未熟ではあるが、
上記のことを中心に、現在の私があるのも
父の「おかげさんやなあ」と思う。

さらに「父が私にしてくれたこと」を思い浮かべてみる。


私が3〜4歳の頃、父に遊んでもらうのが好きだった。
「たかい、たか〜い」と言って、
スーパーマンや飛行機のように私の体を持ち上げたり
下げたりして遊んでくれた。
幼子だった私が、ケラケラ笑っていたのを、
不思議なことに、今、想い出した。


キャンプや海水浴、近場の旅行、洋食レストランなどにも
よく連れていってくれた。
おとなしかった私が珍しく「野球をやりたい」と言ったとき、
父は、「そうかあ」と言って、すっごく喜んでくれて
野球のユニフォームやグラブ、バットなどひと揃いを買ってくれた。
今から考えると無理してたんちゃうかなと思う。
ほんまにありがたいな。

また、私は父を見て、子供ごころに、
「うちのお父ちゃんは格好いいなあ」と
思ったことも何度かあった。
父は無学だったが、センスは良かった。
オシャレだし、身長も高かった。
昔の俳優の木村功をワイルドにしたような顔だった。
優しくて格好いい親父だったから、よくモテたみたいだ。
子供だった私には分からなかったが、浮気もしていたそうだ。
父の他界後、ずいぶん経ってから母から聞いた。
それでも母は父を愛していた。

父の日が、もうすぐ来る。
今まで、長いこと
毎年来る「父の日」は
「うちの家には関係ない」と思っていた。
しかし、今年は一度、心の中の父への思いを
清算しておきたいと、フッと思った。

「父の人生」とは何だったのか?

それは45歳で他界した父しか分からないことだろう。


それでは
「父の人生」から私は何を学ぶだろう?
少し前の私は、無意識に、
父と、ほとんどそのままの人生を歩んでいた。
本当に不思議なくらい、そっくりに。
自分と父の人生、「生き方を意識」するまでは。
転職を繰り返し、経済的に安定せず、むしろ借金を抱えていた。
性格的にも似ている。
多趣味である点。
容姿も。そして、夢を追う生き方。

ある時、心理学の勉強をしていて、
両親の生き方は、子供に想像以上に影響を与えている
と再認識した。
わたしの想像を遙かに超えていた。


そして、親が、自身の人生で「果たされなかったこと」や、
親自身の「課題」は、
子供が今後生きていく上で様々な気づきの得るための
「人生のプレゼント」だった。


つまり
「生きた見本」だ。


親の人生での「果たされなかったこと」「課題」が
子供へのプレゼントだったのだ。


そして親が背中で見せた「生きざま」や「生き方」が
私への無言のメッセージだった。


こう生きると前進したり良くなる。
反対に、こういうように人生を歩むと
悪化したり失敗したり最後はこうなる。
という
良い意味でも、悪い意味でも
最も身近な「生き方の見本」であり「お手本」なのだ。


ただ、ポイントは、

その子供である本人の自覚と思慮深さや、真剣さ。
どれだけ自分の親から学び、つかみ取ろうと思っているか
否かだ。
本人の「生きる姿勢」如何で、果実は、受けとる量が違う。


親も私も人間だ。
良い面も、どうかと思う面も両面ある。

そこから私たちは何を学ぶか?
一生、親をうらんで生きても同じ人生だ。
親の欠点を、あげつらって生きるのも同じ人生。
自分が何かをやりたいのにやらない言い訳をする、
その責任転嫁のために親を使うのも同じ人生だ。


その嫌だった生きざまを反面教師にして、
自分の人生で、どう良い人生に変えるかは
私たち次第で可能なことだ。


人を変えることはできない。
自分しか変えられない。
親のせいにしたり、親に不平不満をいうことは
簡単なことだ。


しかし、
親に不平不満をいうより、
自分がより良く変わることが先決だ。
そして、「親が果たされなかったこと」「親の課題」を
自分の人生のビジョンの中の一部に組み込むことができる。
自分の意志次第で。

わたしはどうか?
私の父が果たせなかったことと課題は何か?
父は夢を果たしたかったんやろな。
今、自分がVISION ART METHODで
人様の夢の実現のお手伝いを
させていただいている不思議を思う。

そして、父が果たせなかった経済的安定。
理想と現実の一致、夢の実現を私が果たす。

私の父は無学だった。
知識がなかったせいで、人から騙されたこともあった。
知識の大切さを学ぶ。人が良すぎ、優し過ぎ、
人に利用されたことがあった。
優しいのは良いことだが、思慮深さが必要。
行き当たりばったり、思いつきだけで行動すると
行く行く大変な目に会う。
計画的に事を進めることの大切さを学ぶ。

そして父には
人生に対する価値観、理念、使命、ビジョン、目標が明確でなかった。
私は、そこを徹底的に考え掴んだ。

父はセンスがよかった。
何かその才能を生かすことをしたかったのではないか?
私は芸術が一番好きで、現在、仕事にしている。
もっともっと精進しよう!

あたたかい家庭ではあったが、
父が若くして他界したため
長く続けることができなかった。
私はあたたかく明るい家庭を長く続けたい。

長生きしたかったんやろな。
私は健康に気をつけて長生きにつとめよう。
父は山菜狩りやアウトドアが好きだった。
時間的に余裕をつくって行こう。

きっと妻である母に充分なことを
してあげられなかったことに悔いがあるだろう。
父のかわりに
母には、できるだけのことをしてあげよう。

そして、父が私に子供の時からずっと言ってた。
「早く大きくなれよ。かっちゃんが大きくなったら、
 一緒に飲みに連れていってあげるからな」ということを
自分の子供が生まれ大きくなった時に、
父の代わりに、その小さな夢を私が果たしたい。

一番、父が果たしたかったことは何か?


45歳という若い年齢で、志半ばで他界した父が
一番、果たしたかったことは?


それは「やり遂げる」ということだと思う。
それが
何事も中途半端だった私への最大のメッセージだろう。

いつか私は果たそう。
若くして他界した父の叶えられなかった夢を。
父の志を私の個性のフィルターを通じて実現しよう。


男の私にとって親父を超えることが
唯一、父への恩返しかもしれない。
それが父への一番の供養であり、一番の親孝行かも知れない。
また鎮魂歌(レクイエム)でもあるだろう。

今の私は父が他界した年齢を超えた。


昔は父を恨んだこともあったが、今の自分なら
父の考えや気持ちも充分わかる気がする。

父の日は、父の霊前に酒を捧げたい。
今の私と乾杯をしよう。

私の父はもう、この世にはいない。


しかし、

今、私の心には、父がたしかに生きつづけている。





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