【笑顔の誓い】

さわやかな微笑みを絶やさず、周囲を明るくするについて、



わたしは

こんな実話を直接、ある職人さんに聴いたことがあります。


正直、ビックリしました。


【笑顔で、こんな効果を生むのか!】と。

何でしょうか?

お金がなくても【与える】ことができる、

代表選手である「笑顔の成果」についてです。


私が新聞社に勤めていた頃の話です。

今では成功され、悠々自適の生活をされている
職人さんに取材をした時、 ポロッと私に話されました。


話しは、その職人さんが
20代、終戦間もない頃にさかのぼります。

その職人さんの住んでいた地域は、
空襲で、辺り一面、焼け野原と化していました。


ところが、そんな焼け野原の中にも、
数軒の大きな屋敷が点在していたのです。

「なぜだろう?」
その若い職人さんは思いました。


「こんな時代、
ほとんどの人は食べるものもなく、途方に暮れているのに


大きなお屋敷が残っているのは、なぜだろうか?

たぶん何かで成功した人がいるのだろう。


若い俺は今、戦争で何もかも失って一文無しだが、

いつか必ず成功したい。


これらの大きなお屋敷に住む人たちは、

どのようにして、成功したのだろうか?」


そして、


彼は、ある奇妙な行動に出たのです。

その奇妙な行動とは?

彼は、

一軒一軒、焼け跡に残っている大きなお屋敷を尋ね歩き、

それぞれの家人に、こんな質問をしだしたのです。


「世間では、
食うや食わずで 困窮した生活をしているのに、

お宅は、どうしてこのような
豪華な生活ができているのですか?

それと、

どうしたら私のようなものでも、
お宅のように成功できるのでしょうか?」


と、若いからこそできる
不躾な質問を投げかけたのです。

すると

大きく分けて、2通りの答えでした。


1つは、親の代から財産を引き継いだお金持ち。

2つめは、裸一貫、1代で財を築いた方たち。


彼は、もちろん2つ目の

裸一貫、1代で財を築いた人に興味を持ったのです。


「裸一貫でなら、今何も無い俺でも成功できるかも知れない」
そう思ったからです。

そして、

その裸一貫で叩き上げの人々の中に、 ある家族がいました。


戦後の暗い時代に、

何度も大きな明るい笑い声が、

家の外からもれてくる1軒の家があったのです。

「どうしてだろう?」


彼は、不思議に思い、

その家の前にたたずみました。

しばらく家の前を、

行こうか行くまいか、ウロウロしてましたが、


勇気を持って、

「こんばんは!
わたしは一軒ずつ、裸一貫で成功されている方に
その成功された秘訣をおたずねしている者です。


まことに、ぶしつけな質問ですが、


どうして、こんな暗い時代に、

お宅は、明るい笑い声がたえないのですか?


そして、

どうしたら
お宅のご主人のように
成功することができるのですか?」


すると、

「真っ正直な面白い若者だなあ」と興味をもった、

そこの主人がいいます。

「それはね。

実は私は庄屋の息子だったんだ。

成人するまで、親のおかげで何不自由ない生活を

させてもらっていたんだよ。


ところが、

ある事がきっかけで、私の運命は180度変わったんだ。


20代になって、
わたしに、大好きなひとができた。


わたしは、その人を見るだけで、 心がふるえ、

逢う度に、どんどん好きになった。


その人も私のことを好いてくれ、大恋愛になった。


でもね、それは「してはいけない恋」だったんだ。

親が許してくれなかったんだよ。

というのは、

今の時代では、
そんなことはないけど、 昔は身分制度があってね。


わたしが好きになった女性は、 うちの女中さんだったんだ。


だから、親から、

『そんな身分の違う人を好きになって! 絶対に許しません!』と、

猛反対にあったんだ。


だけど、

私は、この女性といっしょになれるなら身分なんてどうでもいい。


彼女と一緒になれるなら、それだけでいい!


と思い、親からは勘当されたけれど、
何も持たず、着の身着のまま彼女と家出をしたんだ。

私たちは、 神戸行きの列車に飛び乗った。


冬の寒い神戸駅の待合室で、

2人だけの結婚式をした。


彼女は私に言ってくれた。


『あなたに一生ついていきます。

こんなにもあなたは私のためにしてくれた。

でも、

私には何もない。 何も持っていない。

それに、なんの取りえもない。

だけど、


あなたに1つだけ誓います。

これからの人生で何があっても、

あなたを笑顔で迎えます!』

と、言ってくれたんだ。


私は無性に嬉しかった。

そして、私も心の中で誓った。

どんなことがあっても、この人を幸せにしようと。

それから、私たちの新婚生活がスタートした。

最初は知人宅の2階の四畳半に間借りをした。


家具といえば、木製のミカン箱のみ。


ほんとに、何もないところから始めたんだ。

勤め先を必死で探し、がむしゃらに働いた。


でも、 わたしには救いがあった。


たとえどれだけ仕事でクタクタに疲れて家に帰っても、


そこには、

『お帰りなさ~い』と、 ニッコリと満面の笑顔で

最愛の妻がサァ~ッと走りながら私を迎えてくれるんだ。

『あなた!

今日も遅くまでお仕事、おつかれさまでした。

家族のためにがんばって働いてくださって、

ありがとうございます』と、


ねぎらいと感謝の言葉ともに、

それこそ満面の笑顔で迎えてくれるんだ。


すると、


がんばって働いた仕事の疲れが、

スッと、どこかに飛んでいく。

そんな幸せな感覚を味わったんだ。

妻は、神戸駅の待合室での、

たった2人だけの結婚式の誓い


『これからの人生で何があっても、

あなたを笑顔で迎えます』を


ずっと忠実に守り抜いてくれたんだ。

だから、

私は、

妻のその笑顔を見るために、

本当に死にものぐるいで働いた。

そうこうしていくうちに、
会社は、私の働きぶりを認めてくれるようになってきた。

それから、少しずつ昇進していったんだ。


会社の同僚たちは、

いつも、いかに自分の仕事をサボるかばかり考えて、
手抜きの仕事をしていたんだが、


わたしは、そんなことに目もくれなかった。


みんな必死で働いている私を


『どうしてあんなに働くんだろう?』


といった冷めた目で見ていた。

なぜなら、私は、帰宅したときに、
サァ~ッと走りながら私の元に擦り寄ってくる

妻の、あの笑顔を見ることが、
最大の幸せだったからなんだ。


それからも、

妻の笑顔を励みにして、また仕事をがんばった。

すると、

いつの間にか、わたしは重役に昇進していた。


そして、ある程度、仕事も覚えたので独立したんだ。


その後、 私たちに子供が授かった。


子供の誕生を機に家を買ったんだ。

その時、わたしたちは、将来の夢を話し合った。

それは、

【笑い声のたえない家庭をつくろう!】と。

そのために、

家族で食事を囲むときは、 それぞれが、


「その日にあった

【良かったこと】と【面白かったこと】を、

中心に、話し合おう!」と、決めた。

それ以来、

子供が大きくなっても、うちの家庭ではみんながそうした。

子供も帰宅後、夕食のときに、

「今日、学校で、こんな楽しいことがあってね」と、

楽しそうに話している。


それを私たちもニコニコと聴いている。


心が和むひとときだ。


無理やりじゃなく、【楽しいから】ずっと続いているんだ。

何より【家庭が明るい】のがいいね。



だから、うちでは、

ゲラゲラとワッハッハと大きな笑い声が、

外からも聞こえるんだ。


わたしたち家族は、【心から幸せ】だと思っている。

妻も、つねづね、

『ほんと、幸せね~』と言ってくれる。


そして、
『私たちだけが、こんなに幸せではもったいない。


この幸せを分かち合いたい』といってね。


うちの屋敷の裏に、小さな畑があり、
そこで取れた野菜などを、
楽しそうに、近所のみなさんに無料で配っている。


今、わたしたちは本当に幸せだ。

私なりに、成功することもできた。


その理由は、すべて妻が【笑顔】で、


私を見送りと出迎えを【続けて】くれたおかげなんだ」


「な~るほど。ご主人が大成功し、
ご家庭で笑い声がたえない理由が、 よ~く、わかりました。

わたしも、【笑顔の素敵な】女性と出逢い、

こちらのような家庭を、必ずつくります!

ところで、

奥さまは、今でも、ご主人が帰宅されると

【満面の笑顔】でサァ~ッと走りながら迎えてくださるんですか? 」


ご主人は笑いながら

「いや~妻もわたしも、もう年齢が年齢だからね。

満面の笑顔は、少しシワがふえたぐらいで、
まったく変わらないんだけど、


昔は、サァ~ッと走ってきたのが、


今じゃ、
ドタッドタッドタに変わっちゃったよ(笑)」

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